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時間

じかん

 時間とは、時の長さ。時の一点すなわち「時刻」と「時刻」の間が「時間」だが、「開始時間」のように、時刻の意味で使われることも多い。哲学では、空間とともに世界を構成する基本形式で、幾多の哲学者に時間の浪費をもたらした研究対象。物理学では、自然現象を記述するために必要な変数であり、要するに物理学者のメシのタネ(アインシュタインなんて、どんだけ世界の科学者を食わせてやったか……)。バカはスマホの使用方法には精通しても、その仕組みや作り方には考えが及ばないように、時間も「バカが深く考えるべきではない世界の構成要素」と定義することができる。

「時間」は、中国の古典には現れない言葉で、明治初期に英語timeの訳語として日本で作られた和製漢語らしい。しかし明治6(1873)年に刊行された『附音插図英和字彙』では、timeの項目に、時度(ときど)、光陰(つきひ)、時代、音節(おんせつ)という訳語しかない一方、spaceの項目で、間(あいだ)、広(ひろさ)、空所(あきしょ)、間隔(へだたり)、字隔(もじしきり)の他に、時間という訳語が出てくる。確かに英語でも、in a short space of time(短時間で)という、時刻と時刻の間隔を強調した使い方があり、この訳語は納得できるものである。明治14(1881)年刊の『哲学字彙』で、timeが時間、spaceが空間という訳語があてられており、『附音插図英和字彙』も明治15年の改訂版で、timeの項目に時間を加えている(なにかしら反省するところがあったんだろうね)。このころに、現代につながる「時間」という訳語の認識ができあがったと考えられる。

 (KAGAMI & Co.)

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