top of page

北の方

きたのかた

 北の方とは、身分の高い人の妻を敬っていう語。直接の意味は北の方角ということだが、上代日本の貴族の邸宅は、主屋の北側に別棟を設けて正妻を住まわせていたので、「北の(北に住む)人)というこの名称がある。現代、妻のためにこんな住まいを造ると、金持ち夫婦の仲が冷え込んでいるのかとか、妻が浮気部屋をつくったとか、下世話な人々が大喜びする。

 平安時代の身分の高い者の邸宅は、主殿である寝殿(しんでん)と、別棟の対屋(たいのや)を渡殿(わたどの)つまり渡り廊下で結ぶという構造をとっていた。その建物群の中で、主人が住んでいる寝殿の北側に設けられたのが「北の対(きたのたい)」で、そこに正妻を住まわせていた。陰陽思想で、陽である夫に対して妻は陰であることから、やはり陰の方角である北に住まわせたのだとされている。これはハレとケという、公(パブリック)と私(プライベート)の区別にも対応し、私空間を取り仕切っているのが北の対に住む北の方ということになる。ところが、平安時代の貴族の邸宅の指図(さしず:設計図)を見ると、北の対は描かれていない。しかし、そのあたりの敷地は十分な広さがあり、さまざまな文献にも記されているので、それがあったことは間違いないとされている。要するに北の対はそれほどシークレットな場所だったということで、よほど主人が奥様を人前に出したくなかったのか(いろいろな意味で)と疑われる。少なくとも女性が「陰」の存在であり、主人の陰に隠れていたことは確かだが、一方でその場所を根城に女性は使用人を使って家事一般を取り仕切っていたため、使用人ばかりでなく主人をも操って国家運営に影響を与えるようになると、「北政所(きたのまんどころ)」というようなラスボス的な名称を頂戴するようになる。

​(VP KAGAMI)

関連用語

bottom of page