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まえ

 前(まえ、ぜん)とは、顔が向いている方向、また、顔のある側、正面。順序においては早い方、先の方。時間においては過去。対語は「後(うしろ、あと、のち、しり、ご)」。空間表現の「前方」や「前面」という使い方から、時間表現においても「前」は未来のことを言いそうだが、「前日」「この前」のようになぜか過去を表す。対語の「後」は、「後日」「このあと」のように未来を表す。空間の前後と時間の前後は理屈から考えると反対なのだが、誰も違和感なく使っている。このことは、進んでいく方向である「先」でも同様で、時間の表し方では「先日」「先の大統領」のように過去を表す。しかし、「先」の場合は、「先のことはわからない」というと未来のことになり、少しは不自然さに気づいている人もいそうである。

 時間の前後は、時間をいったん抽象化して過去から未来へ流れる一直線の流れと考え、順序の観念でとらえると理解できる。つまり、先(前)に来るのが過去であり、遅れて来る(後から来る)のが未来ということである。このような抽象的な時間の考え方は中国人が得意そうで、実際中国語でも「前」は過去を表し、日本語の「前日」は「前一天」である。ということは、時間の前後の捉え方は中国由来ではないかとも考えられる。

「まえ(まへ)」という言葉を「以前の時間」の意味で使うようになるのは、平安時代後期の『大鏡』あたりからであるようだ。それ以前に時間的な「まへ」を表していたのは「さき」で、「前」という漢字には「さき」という読みが当てられている。「さき」の対語は「のち(後)」になるが、こういう時間観念が漢字流入以前に日本にあったのかどうかはわからない。古代の人の時間観念は、現代人のような直進的なものではなく、単に「今日の次(後)に明日が来るといった」順番の観念でとらえられていたか、過去に向かいながら後向きに進んでいるという考え方だったのかもしれない(そんなこたーねえか)。

 日本語の「まえ(まへ)」は「目(ま)」「辺(へ)」から来ているとされており、要するに、目の向いている方向、あるいは目のあるところ(側)という意味。目が頭の後ろについている人はあまりいそうもないので、顔が向いている方向、顔のある側という説明でよろしいのかと思う。つまり「まへ」は空間専門、さらに動きのない世界を表現している。これに対して、「さき」には、進んで行く方向、他より早く進むという意味合いがあり、時間の観念を表すにはこちらのほうが適切といえそうだ。(VP KAGAMI)

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