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きゃく

 客とは、招かれて家や居所をたずねてくる人。つまり、主人(ホスト)が招いて歓迎する(歓迎するふりをする)というのが「客(ゲスト)」の条件である。呼んでもいないのに来るが、むげに追い返すこともできず、歓迎せざるをえない人は「招かれざる客」などという。不意に家にやってくるなつかしい友だちは、当方にとっては大歓迎だが、やはり呼んでもいないのに来ているので「客」とはいいがたい。玄関先で「やあ、ひさしぶり」と再会を喜びあい、「中に入れよ」と招かれて、酒を酌み交わした時点ではじめて「客」に昇格するといえる。また、身内や身内もどきの人(毎日家に来て酒を呑んでいく近所のおっさんとか)は客とは言わないので、基本的には他人、よそ者であることが「客」のもうひとつの条件となる。

 さらに、本来「客」は、家に招いてもてなす「主(主人)」に対して、あくまでもサブ扱いであり、いそうろうを意味する「食客(しょっかく)」や、親分さんのところにわらじを脱いでいる「侠客(きょうかく)」は、その立場を表している。一方、店に来て商品を買ってくれる人、劇場に来て芝居などを見物してくれる人も「客」というが、この「客」は金を払ってくれるので、主客は転倒し、歌手の三波春夫は「お客様は神様です」とまで言っている。

「客」を「きゃく」と読むのは漢語の呉音。漢音では「かく」と読む。いそうろうを意味する「食客」は「しょっかく」とも「しょっきゃく」とも読むが、「しょっきゃく」は読みにくくて早口言葉の材料になりそうなので、読みやすい「しょっかく」が採用される場合が多い。

 日本で客を意味するのは古くは「まろうど(まらうど)」であり、これは「まれびと」が変化した言葉。「まれびと」は、たまに(まれに)くる人という意味で、「客」のあり方を状況から描写した詩的な言葉であり、いかにも日本語っぽい。「客」は「まれ」にくるからおもてなししたくもなるのであって、酒を飲みに来る近所のおっさんみたいなのは歓迎する気にもなれない。

 漢字の「客」は建物を表す「宀」と、盛んにお祈りしたところ「お呼びですか」と神様がやってきたことを意味する「各」からなるそうで、三波春夫の「お客様は神様です」は間違っていないが、「神様はお客様でした」というのが正しいといえる。とはいえ、「歓迎光臨」などとにこやかに呼び込んでおいて、冷やかしと知るやつっけんどんになる中国人店員の態度は、漢字の精神を表しているとはいえず、再考をお願いしたい(もっとも、三波春夫だって、ただ働きさせられていたら「神様」はなかったと思うが)。

 英語のguest(ゲスト)は「見知らぬ人」が原義。おいおい、と言いたくなる語源で、日本における「客」の条件には「他人」という点しか合致していない。もっともhost(ホスト)のほうは、「客を招いておもてなしする人」が語源なので、なんとかそこでつじつまを合わせている。とはいえここには、見知らぬ人でも喜んで迎え入れ、ご奉仕しなさいというキリスト教の精神が宿っているようにも思われ(誰もしたがっちゃいないけど)、納得できないものでもない。

​(VP KAGAMI)

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