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鏡餅

かがみもち

 鏡餅とは、鏡のような(鏡の形の)餅というほどの意味で、正月に神仏に供えられる餅のことをいう。大小の円盤状の餅を二段または三段に重ねた形をしていて、正月に年神様(としがみさま)に供える餅だとも、年神様を迎える依代(よりしろ:神様を呼びよせる媒体)になるものだともいわれている。古くは「もちいかがみ(餅鏡)」と呼ばれ、『源氏物語』にも、正月に固いものを食べて長寿を願うという「歯固(はがため)」の儀式に使う食品として登場する。獣は歯によって年齢がわかるというので「歯」は「齢」に通じ、固いアメを食べて歯を鍛え(?)、長寿を願うという中国の儀式が日本に伝わったのが歯固の儀式で、天皇が率先して行っていた。それはもう、日にちのたった餅ほど固いのはカツオブシくらいのものだろうから、「歯固」の儀式にはうってつけの食品だったに違いない。

 近年では前述のように、鏡餅は正月の年神様に捧げる供物だというのが定説となっている。平安時代に歯固の儀式に使われていたとはいえ、それは以前から供物に使われていた餅が固くて歯のトレーニングに適していたから採用されたのであって、最初からバーベルのような役割を担っていたわけではないだろう。そこで「年神様」の登場になるわけだが、「年神」は、字ヅラは新しい年をことほぐ神様というほどの意味だが、その実態は正月の守り神、農業神、先祖の霊、スサノオノミコトの子である「大年神(おおとしのかみ)」などさまざまな説がある。『古事記』に「大年神」が登場するくらいだから、それ以前に日本各地で信仰されていた神々に「としがみ」がいたに違いなく、各地の言い伝えを結集したのが「おおとしのかみさま」だったのだろう。古く新年の供物は餅に限らず、米、かちぐり、干し柿、昆布など、その地の産物を捧げていたことからも、「年神様」の原初の形態は、純粋にその年の豊饒を約束してくれる農業神だったと考えるのが自然ではないだろうか。

 というわけで、そういうふわっとした神様に捧げられる餅が鏡餅なのだが、なぜ「鏡」なのかというと、円形の鏡をかたどっているからだというのが一般的な説だ。円形なのはたぶんそれがいちばん作りやすいからで(モチという言葉自体、満月を意味する望月(もちづき)から来ているという説もある。あるいはモチのように丸いから望月なのかもしれないが)、それを霊力のある鏡に見立てたというのが実際かもしれない。

 鏡は古来、人の魂が宿るものであり、また神の依代として呪術的な力を秘めたものとして特別視され、天皇家の神器ともなっている。また、餅そのものも古代から霊力のある食品だとされており、餅を粗末に扱ったために零落した豪農の話が『豊後国風土記』に見える。平安時代の「もちいかがみ」は、そういう霊力のある餅が鏡に見立てられた最強タッグだといえそうだ。丸い餅を家族の人数分作って祀った後、それを下げて雑煮にし各人自分の餅を食べるという風習が地域によっては残されているが、この餅は家族の霊魂を象徴したもので、新年に際して魂を新たにするという意味が籠められているのだという。また、丸い餅を「としだま(年魂)」と呼び、子どもに配る地域もある。それが「お年玉」の起源だとされている。餅を複数積み上げるのは、家族の象徴であったり(親ガメの上に子ガメ、みたいな?)、本来複数作って祀っていたものの代替の意味があるのかもしれない。「としだま」という言葉があらわれるのは室町時代以降なので、家族の魂云々は後世につけられた理屈かもしれないが、「もちいかがみ」と呼ばれていた鏡餅に、霊的パワーがみなぎっていたのは確かなようだ。古くは農林水産の神様に捧げられていた産物のうち、強力な霊的パワーを持つ餅がしだいにクローズアップされ、「としだま」のような霊魂云々の理屈がつけられて現在に至るというのが実態ではないだろうか。

 鏡餅の「鏡」は「飾り」が語源ではないかという説もある。鏡餅は三方の台の上に乗せ、ダイダイ、ユズリハ、ウラジロ、扇、しめ縄、御幣(ごへい)などの縁起物が飾られているので、そういう説が生まれるのももっともだ。鏡餅をこのようにこてこて飾りたてるのは、本来はさまざまな産物が神前に奉納されたのに、餅だけになってしまったことへの(しかも歯が立たないほど固い餅だ)言い訳をかねたカムフラージュのような気がする。語源説としての「飾り」も、「鏡」へという転訛のしかたに無理があるようで、「鏡」はすなおに「鏡」とよむのが無難なようだ。

​(VP KAGAMI)

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