果報は寝て待て

かほうはねてまて

 果報は寝て待てとは、幸運は求めて得られるものではなく、あせらず時機が訪れるのを待て、という意味。辞書の解説はおおむね上記の通りだが、そもそも「幸運(=果報)」は偶然訪れるものなので、「寝て待て」は「果報」の意味をたとえ話で説明したにすぎないバカみたいなことわざだとも言える。このことわざは、「いろいろなことを必死に試してみたがうまくいかない。おれは運が悪い」と嘆いている人に、「焦りなさんな。果報は寝て待てというだろう」などと諭すのに用いられる。ただそれを言うなら、「人事を尽くして天命を待つ」つまり「できる限りのことをしつくしたら、後は運次第」という、真面目に働いている人にとってはもっと適したことわざがある。というわけで、「果報は寝て待て」のほうは、たいして努力もせずグチをこぼしてばかりいるうっとうしいヤツに「果報は寝て待てというから、のんびり構えたらどう?」と、グチ封じの手段として使われるのがよろしいようだ。

「果報」は、仏教で前世の行いによって現世に生じる報いを意味し、善行に対する報恩的な報い、悪行に対する懲罰的な報いがある。これらの「報い」は、前世の行いなど知るよしもないわれわれ人間にとっては、「幸運」「不運」として訪れる。このように「果報」は、本来幸運にも不運にもあてはまる言葉だが、「果報者(善行が報われた運のよい人)」などと使われるように、主に幸運について言われるようになった。これには、同音の「家宝」の影響があるのではないかとも考えられているが、確かに「かほうはねてまて」の「かほう」を「家宝」と勘違いしている人も少なくない。しかし、もし「家宝」だったら、このことわざは「家宝は鑑定団に出して待て」と変えるしかないだろう。

 (KAGAMI & Co.)

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