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金毘羅船船

こんぴらふねふね

『金毘羅船船』とは、香川県琴平町の金毘羅大権現への旅の途中に旅人や船頭が唄った道中歌。ただ、ほんとうにそのような歌だったかは明らかではない(調子がよすぎる歌であり、旅人が歩きながら、または船頭が船で唄う歌のようには、私には感じられない。船でうたうなら「えんやとっと」とか「やーれんそーらん」とかだろ)。また、いつから唄われるようになったかについてもはっきりせず、一説には元禄時代とも、下ったところでは明治の初めとする説もある(要するに、まったくわからないので、みんな適当に言いたいこと言っているってことだ)。ただ、この歌が全国的に広まったのは、お座敷で芸妓らが客とたわいもないお遊びをしながら唄うお座敷歌として使われたからで、それだけは確かなようだ。芸妓といちゃいちゃしながら唄うこの歌は、NHKの『みんなのうた』でもとりあげられていたそうで、たいへん平和で結構な世の中である。

『金毘羅船船』で筆者が注目するのは「しゅらしゅしゅしゅ」という擬音語。この音感はどう考えても帆船の進む様子ではなく、どちらかというと蒸気船とか蒸気機関車のような乗り物の進み方を表している(帆船なら「すいすいすーだらだった」か?)。もしそうだとすれば、この歌が成立したのは、せいぜいペリーの黒船が来航した後ということになる。しかし一方で、歌詞では「追い手(追い風)に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ」で帆船だと断定しているので、擬音語と矛盾が生じる。そこで筆者は推理するのだが、『金毘羅船船』は金毘羅様の近所のお茶屋あたりで、最初からお座敷歌として作られたのではないかということ。お座敷のおちゃらけた歌なので、帆掛け船だけど最近流行りの蒸気船みたいな「しゅらしゅしゅしゅ」くっつけてみました、みたいなノリで作詞されのではないか。この歌が流行りだしたのは幕末から明治期だというので、発生時期としてはおかしくない。

『金毘羅船船』の一番の歌詞は次の通り。「金毘羅船船追い手に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ 回れば四国は讃州(さんしゅう)那珂郡(なかのごおり)象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現 一度回れば」

 ここで気づくのは「回れば」という詞が二度出てくるということ。最初の「回れば」は、金毘羅船が大阪から出帆して、四国の高松あたりを回り込むように金毘羅様のある丸亀に到着するのでわかるとして、謎なのが節の最後の「一度回れば」で、この詞はすべての節の最後に付されている。いわば締めの詞なのだが、言葉づかいを見てわかるとおり、決して歌を締めておらず、むしろ「さあ、二番行くぜ!」(西の方の言い方だと「二番行こか」かな)と、次の節をうながすような言い方である。そのせいかこの歌は次々と節が加えられ、何番まで歌詞があるのかちゃんと知っている人はあまりいないようだ。お座敷では一番の歌詞を何度も繰り返すので、歌詞が何番まであったとしても誰も気にしないから、詳しく知る人もいないのだろう(芸妓もそんな歌詞おぼえちゃいられないし)。

 それにこの「一度回れば」はその前の「回れば」と違い、意味がよくわからない。金毘羅船の船主が「もう一度船を回してくださいね」と言っているのかもしれず、あるいはこれは「一度参れば」で、金毘羅様の巫女さん連中が、あいそのいいレストランの店員みたいに「またおこしくださいませ~」と声をかけているのかもしれない。しかし、『金毘羅船船』お座敷歌説から考えれば、座敷遊びの一回戦が終わって(つまり「一度回れば」)、「さあ、もう一回戦行くぜ」(京都あたりだと「行きまひょいな」かな)という合図であり、妙に納得できる歌詞となる。芸妓は同じ歌詞を延々と繰り返し、曲のテンポをぐいぐい上げていって客を疲労困憊させ、悪酔いさせないといううまくできた策略とも言えそうだ。(VP KAGAMI)

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