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風流

ふうりゅう

 風流とは、洗練された美しさ、低俗でない優雅さがあることを言う。「風流なご趣味ですこと」と、茶道、歌道、生け花など金と時間のある人の遊びなどをほめるのに使う。「風流」と呼ばれるものは、まず日本的な必要があり、似たような趣味でもフラワーアレンジメントだのテーブルコーディネートだのは「風流ですこと」などとほめられてもピンとこない(じゃあ、なんとほめるかと問われても困るが、「エレガントなご趣味ですこと」とでも言っておくか)。また「風流」には、質素さや清潔さという日本的な美観も必要とみえて、こぎたない骨董品を金にあかせて買いあさっているような趣味は、最近ではヘタすると「オタク」あつかいされてしまう。

「風流」は本来漢語で、字ヅラを見れば「風の流れ」であり、とりようによってはなんとでも解釈できる。実際、現代中国語では、態度、外見、才能がある、洗練されている、外見が奇抜である、超俗的、恋愛、色恋に盛んなどの意味で用いられる。古くは、遺風、つまり後世に残っている昔の風習や習慣を意味する使い方が多かったようだが、最も古い用例では『淮南子(えなんじ)・本經訓』に「晩世風流俗敗 嗜慾多 禮義廃(晩世に風流れ俗敗れて 嗜欲多く 礼儀廃る)」つまり「末世には風俗が乱れ、欲望があふれ、礼儀は廃れる」のように、風習が(悪い方向へ)流れるという意味で理解されている。中国の思想書は、一般的に「昔はよかった」というじいさん臭い論調で語られるが、『淮南子』はその傾向を受け継ぎつつ、現在は風俗が悪に流れているという見方をしているわけだ。しかしこの「風流」を、昔の習俗が現在に流れると解釈すれば、その後の「遺風」という使い方も納得できる。つまり、「よかった昔」の習慣が少しは現在にも受け継がれているとするわけだが、昔のよい習慣は賢王によりもたらされたものと中国でされているので、「俗」に対する「雅」つまり、雅やかなものが「風流」と考えられ、田舎くさくない洗練された意匠が「風流」のジャンルに入れられる。さらに、「俗」に対する「超俗」つまり、仙人的な生き方もまた「風流」とみなされるようになり、そのようなごちゃまぜの美感が日本の「風流」にも通底していると考えられる。(VP KAGAMI)

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