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カテゴリー:慣用句

 

雲泥の差

うんでいのさ

 雲泥の差とは、雲と泥ほどの違いがあるという意味。現代では、月とスッポンなどと同様、価値の違いについて言うが、中国に「雲泥万里」という四字熟語があるように、本来は「遠く離れている」という距離の開きを言ったもの。考えてみれば、雲と泥にそれほど価値の違いがあるとも思えないから(どっちになりたいかと聞かれれば、まあ、雲かなとも思うが、すぐ消えちゃうからなあ……。とはいえ、後述するようにこの「雲」と「泥」は「雲に乗ること」と「泥を這い回ること」の違いを言ったものなので、そうであれば断然「雲」ですよね)、単に「距離」を言ったものととらえるのが妥当である。私見だが、「月とすっぽん」は、「雲泥」について私と同じように考えた人が、もう少しわかりやすい例えにしたらいいんじゃね、と「雲泥」を日本式に改良して作ったことわざではないだろうか。

 「雲泥の差」は、『後漢書 矯慎(きょうしん)伝』に、尊敬する隠者・矯慎に呉蒼(ごそう)という人物が宛てた手紙に、「あなたは雲に乗り、私は泥を這い回る。住まいは遠く離れているが、秋風が吹くたびに会いたい気持ちがつのる」とあるのが原典。「会いたい」と言っているので距離の遠さに焦点をあてているようだが、かたや雲に乗り、こなた泥を這い回るという生活の質の差をもほのめかしている。そこから「雲泥」は、物質的な距離と価値の違いという二通りに(あるいは二重の意味で)使われるようになる。例えば、後世の詩人・白居易は「傷友」という詩で「ある青年が久しぶりに長安の道で旧友に出会ったが、出世していた友を彼を無視し、彼我の間には雲泥の差が生じてしまった」と書いているが、さすがに大詩人だけに、ただの物質的な距離ではなく、価値の差にフォーカスを当てている。日本では『平家物語』が、源氏と平家がするどく対立するようになったことを「勝ち負けの差は(いまのところ)ないが、雲泥交わりを隔てて」と言い表していて、本来の「単なる距離」の意味で使っているが、時代が下るほど「価値の差」での使い方が一般的となり、現代につながっていると言えるだろう。

(KAGAMI & Co.)

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