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借りるときの地蔵顔、借りる時の地蔵顔済す時の閻魔顔

かりるときのじぞうがお

 借りるときの地蔵顔とは、借金するときの借りる人の表情をたとえたことわざ。「借りるときの地蔵顔、済(な)すときの閻魔(えんま)顔」がフルバージョンであり、人は金を借りたときには愛想笑いを浮かべてお地蔵様のようににこにこしているくせに、返すときは閻魔のように渋い表情をするものだという意味。「あったりまえやないかい」という、たいしたご教訓もないことわざであり、最近あまり耳にしない。「済す」は返済するという意味の古語で、現在にも通用させたいなら「返すときの閻魔顔」とすればよいのだが、そんな改定もなされていないようなので、忘れ去られるままに「すておけ」という類のことわざではないかと考えられる。ちなみに「地蔵顔」を「えびす顔」とする言い方もあるようで、金を借りる人の表情を考えればそのほうが適切と考えられるが、忘れ去られるなどとほざいている者がどうのこうの言える立場ではない。

 このことわざを最初に聞いたとき筆者は、地蔵顔なのは金を貸す方の表情なのだと思った。悪辣な貸金業者が、貸すときは菩薩のようなおためごかしの態度で接するが、返済する段になると閻魔大王に変身して情け容赦なく取り立てるというそんな状況である。これなら現在にもフィットし、「親切そうに甘い声をかけてくるやつからは借りるな」というご教訓もしっかり付録に付いてくる。さらにまた、われわれ庶民の救済を生きがいにしている菩薩の一派である地蔵菩薩の表情に例えるなら、貸す側とする方がぜったいによい。お固い銀行などは、貸すときは(特にわれわれのような怪しいヤツに貸すときは)閻魔顔であり、「借りるなら閻魔顔」みたいな新しいことわざも生まれそうである。ことわざも時代のニーズに合わせて解釈を変えるなど、リニューアルしていかないと、消えるにまかせるしかないというお手本みたいな例といえる。

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