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ばり、いばり、尿

ばり、いばり

 ばり、または、いばりは、尿、小便を意味する古語。特に馬などの放尿について言う場合が多く、人間の小便を「ばり」「いばり」と言うのは、「どこそこおかまいなくしょんべんしやがって、馬か、おまえは!」みたいな気分、つまりその人を卑下して発する場合が多い。

「ばり」は「いばり」を省略した言い方だが、そのルーツは「ゆまり」だったようだ。「ゆ」は「湯」で……まあ、わかりやすい。「まり」は排便する(大小便含む)という意味の「まる」の名詞形。「まる」は古事記や日本書紀に、荒れ狂った素戔嗚尊(スサノオノミコト)が「くそ」を「まり」ちらかしちゃった大スキャンダルが描かれているように、神代の昔からの伝統的な排便の表現法だった。なぜ「まる」と言うのかはよくわからないが、大便なら「まるっと」しそうなので……まあ、そのくらいにしておく。

『奥の細道』で、「尿前(しとまえ)の関」を過ぎ、境田の庄屋の家に逗留した松尾芭蕉が詠んだ句「蚤虱(のみしらみ)馬の尿する枕もと」の「尿」は、以前は「しと」と読まれていたが、いまは「ばり」と読むのが正解とされている(まだ「しと」が正しいと言っている人もいますが)。『おくの細道』には、「柿衞(かきもり)本」または「西村本」をもとに、素龍(そりゅう)という能書家として知られる蕉門の坊さんが清書した「素龍清書本」と呼ばれる完成版がある。この本には、漢字にフリガナがまったく振られていないので、尿前(しとまえ)の関つながりで「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠んだなら、和歌や俳諧の常識からして、「尿」は「しと」に決まっていると誰もが考えて(たぶん)、ずっと「しと」と読まれて来たようだ。

 しかし、奥の細道の旅に同行した弟子の河合曾良(かわいそら)が所持し、本書の草稿とされている通称「曾良本」には「尿」に「バリ」とフリガナが振られている。本書については、芭蕉の真筆を疑う向きもあったが、1996年、弟子の志太野坡(しだやば)が所有し、長らく行方不明になっていた芭蕉直筆の草稿と見られる本が発見されるに及んで(「中尾松泉堂書店」の店主が自宅で発見したので「中尾本」と呼ばれる)、「尿」は「ばり」と読むことがほぼ決定した。この草稿本も漢字にほとんどフリガナが振られていないが、「蚤虱」の句の「尿」には「バリ」と振られている。そして、その句の前の地の文を見ると「尿前の関」の「尿」にわざわざ「シト」とフリガナを付している。つまり芭蕉は「『しとまえの関』つながりで詠んだ句だけど、こっちは『バリ』と読んでちょーだい」と強く求めているわけだ。

 芭蕉が「しと」を「ばり」と読ませたについては、冒頭の説明のように「馬の小便」だからという単純な理由によるのかもしれないが、芭蕉が馬の小便をイメージして、「あの勢いあるしょんべんは、ゼッタイ『しと』じゃなくて、『バリ』だよな~」と、推敲の末決めたとみるのがよさそうだ。というのは、松尾芭蕉という人は敏感な耳の持ち主で、セミがうるさく鳴いているのを「しずけさ」と言ってしまったり、普通はゲロゲ~ロという鳴き声に注目するカエルの池に飛び込む音に注目したりと、音に関してちょいと小うるさいところを見せている。「ばり」もそんな耳がもたらした必然と見るべきで、「ダジャレは漢字だけで許してもらうか」と芭蕉は考えていたのではないだろうか。

 ところで「蚤虱」の句が、実際に境田の宿での体験に基づくものかというと、これは微妙だ。『おくの細道』の記述によると、芭蕉は尿前の関を超えたその日と翌日、大雨のためにやむなく境田に逗留したようで、付き人の曾良による『曾良旅日記』でもそれは確認できる。しかし曾良の日記では、二日目の逗留先として「和泉庄や」という記述があるものの、一日目は書かれていない。研究者の中には一日目も同じ家に泊まったと考えている人がいるが、だとすると、小さな山村とはえいえ仮にも庄屋を張る人物の家で、有名人の芭蕉を「馬の尿する枕もと」みたいなところに泊めたわけはない。特にこの「和泉庄や」という家は、裏庭に泉が湧き、重要文化財に指定されて現存している名家ではないかと考えられており、ますますその待遇はありえない。であるなら芭蕉は、越えてきたへんな名前の「尿前の関」をお題に、ずっとなぞかけを(いえ、発句を)考えていて、庄屋の家で落ち着いたときに、これまでの旅先で経験した「ひでえ宿」を思い出しながら(実際に、土間にむしろを敷いた貧家で、蚤や蚊に刺されて眠れず、持病まで起きちまったぜと文句たらたらの宿りもあった)、「整いました!」と例の句をひねり出したものと考えられる(ねづっちなら5秒で整えるぞ! しかも、「しと」と「ばり」だから、舞台にはかけられないな)。しかし、『おくの細道』によると、尿前の関を過ぎたその日は、日が暮れかけていたので封人(くにざかいに住む人)の家を見つけて泊まったとあり、この家は二日目の庄屋とは違い、正味貧しく、実際に枕もとで馬がじゃーじゃーやっているところだったのかもしれず、だとすると体験に基づく句だということになる。どちらにしても、松尾芭蕉という俳聖は、われわれにいろいろな姿を想像させてくれる、おちゃめなヤツなのである。

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