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鶏を割くになんぞ牛刀を用いん

にわとりをさくになんぞぎゅうとうをもちいん

 鶏を割くになんぞ牛刀を用いんとは、ニワトリをさばくのになぜ牛刀を用いるのか(用いる必要はない)、つまり、小事をなすのに大げさな準備は必要ないという意味。『論語』で、孔子の教えどおりに小さな町をよく収める子游について、孔子が「鶏を割くになんぞ牛刀を用いんというように、こんな小さな町を収めるのは子游には役不足だな」と言ったところ、きまじめな子游は「先生の教え通りに収めているんですよ」と反論した。すると孔子が弟子たちに向かって「子游の言ったことが正しい。さっきのは冗談だよ」と言ったもの。「鶏を割くになんぞ牛刀を用いん」は「じょーだん、じょーだん」というわけで、ということは、どんな小事にあたっても十分な準備をするにこしたことはないと孔子は言いたいのだろうが、後世この言葉は、犬小屋を造る程度の日曜大工に本格的な工作機器を揃えたがるような人に対する、半分ばかにしたような言い方をするときに用いる。(KAGAMI & Co.)

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