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うどん、饂飩

うどん

 うどん(饂飩)とは、小麦粉を材料とした麺のうち、比較的太めのぽっちゃりタイプのものをいう。日本農林規格の乾めんの規定では、直径1.7㎜以上をうどん、1.3以上1.7㎜未満を冷や麦、1.3㎜未満を索麺(そうめん)と定めていて、きしめんやほうとうなどもうどんの一種とみなされる。もっともこれは「乾めん」の規定なので、手打ち麺に関しては、太かろうが細かろうが平べったかろうが、なんと呼んでも知ったこっちゃないということだ。

 うどんはソバと並ぶ日本を代表する麺といえるが、江戸時代、江戸っ子はソバをひいきにして、うどん好きはバカにされた。なぜ江戸でうどんが不評だったかには、太めなうどんは茹でるにも食べるにももたもたと時間がかかり、江戸っ子の美意識にそぐわなかったからだとか、周辺の地域ではうどん食がさかんだったので、うどんは田舎者が食べるものだと江戸っ子が見えをはっていたなどの説があるが、私見では、うどんが、江戸の濃口醤油のつゆと、つゆをつけて食べる食べ方に合わなかったことが大きいのではないかと思われる。現代でも同様だが、うどんは西日本の出汁をきかせた薄味のかけ汁に合い、ソバは濃口醤油の濃いめのつけ汁に合う。東京に来た関西人はうどんの汁が黒いといっておおいにバカにするが、うどんをぶっかけやつけ麺として食べる場合は、関西風の汁ではいくら薄口醤油を足してしょっぱくしてももの足りず、関東風の濃口醤油を使う。その理由はよくわからないが、うどんは麺を打つ際に塩を入れるので、汁はあまりしょっぱくなくてもおいしくいただけることや、関東の水は硬水なので昆布などの出汁が取りにくいので、醤油の味を利かせたしょっぱいつゆで(出汁の薄さを)ごまかしていたので、塩分の少ないソバによくあったからではないだろうか(私見です)。

 饂飩の「饂」という漢字は日本で作られた国字のようで、「饂飩」という文字も、室町時代以降に禅寺で考案されたものらしい。うどんに先んじて、日本では「そうめん」や「ほうどう」などが食されていたが、そうめんは中国式の手延べ麺であり、ほうとうは麺ではなく四角い餅状の食べ物だった。また、中国伝来の「索餅(さくべい、麦縄ともいう)」という、小麦粉などを縄状に練って乾燥させた菓子があり、それらが合わさって、練った小麦粉を細長く切って作る「うどん」ができあがったのではないかと考えられている。

(KAGAMI & Co.)

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