コロナ問題 総括1-1 「常識」を疑え

ころなもんだい そうかつ1-1

 コロナウイルス問題について、私はおおむね正しい内容を、しかも「事前に」発信してきたと思う(具体的には失言も含めて追って検証します)。そこで、総括ではまず、私がどのような方法でこの問題にアプローチしたかを記しておきたい。

●私がこの問題に注目したきっかけは、3月頃世間で言われていた「日本はPCR検査数が少ないから感染者が少ないのだ」という当時の常識的な意見に疑問を持ったことにある。実際、誰もが認めるように日本の検査数は少なく、発表される感染者数は「実数」とかけはなれていると考えられた。しかし、仮に感染者数が発表の何倍か何十倍かに達し、隠れ感染者が市中に解き放たれている状況で、なぜ日本で感染爆発が起こらないのだろうか? そう考えたのが今回の出発点だった。「検査数が少ない〈から〉感染者が少ない」から「検査数が少ない〈のに〉感染者が少ない」への発想転換である。

●「検査数が少ない〈から〉感染者が少ない」という常識的考えが間違いだと言っているわけではない。この考えは、検査数を増やせば感染者の実数に近づくことができ、感染者の行動を抑制して効率的な感染防止が可能となる……という妥当な対策への道を開く。韓国ではIT技術により感染者の位置情報を把握し、感染拡大を防いだという(詳しいことは知らない。日本でもたぶんやればできるのだろうが、話題にはならなかった。日本国憲法の下ではそれが正解だと思う)。「検査数の拡大」は感染防止の手段として有効である。しかしそれを最大の防疫手段と考えてはならないというのは、1ヶ月ほど前に述べた。

●一方日本である。日本はPCR検査の体制が整っていなかったこともあって、検査を絞って対応してきた(せざるをえなかった。これは、欧米の当初のマスク拒否の実情にも通じる)。つまり、隠れ感染者を追尾することができなかったのである。それなのに感染爆発は起こらなかった。「検査数が少ない〈のに〉感染者が少ない」のである。なぜか? 政府が積極的な対策をあまり施さなかった当時の状況下では、国民自らが感染を防衛していたと考えたのはそうは間違いではなかっただろう。そこでコロナ特集の第一項のタイトルは「民度」となった。最近「民度」という言葉を麻生大臣が使って一部から批判を受けていたが、大臣も私のコラムをパクるんなら(んなわけないか)もっと繊細な使い方をしてほしかったものだ。(KAGAMI & Co.)

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