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はは

 母(はは)は、女性の親を指すが、他者に対する自分の女性の親の呼称として最も一般的なもの。つまり、女性の親の謙譲表現のひとつ。他者の母親を言う場合「お母様(おかあさま)」はそこそこ使われるが、「かあ」とか「かか」というような謙譲表現はなく、逆に、「母(はは)」の尊敬表現である「母上(ははうえ)」や「母君(ははぎみ)」は現代ではあまり用いられない。また、自分の母親を親しみをこめて呼ぶときの「おかあさん」「かあちゃん」「ママ」「おふくろ」「おかん」などは、よほど親しい間柄との会話でないと用いられない。特に「ママ」は、自分の母親を言う場合は精神年齢を疑われ(最近ではそうでもなさそうだが)、他人に「あなたのママは」と言うと、その人の奥さんのことを聞いていると勘違いされる。英語でも公的な会話ではmother、私的な会話ではmamaくらいの区別はあるが、これほど複雑な呼称は用いられず(説明しようとすると、こちらが混乱してくる)、そんな日本語を海外の人はどう覚えるのか不思議に思う。しかしまあ、海外の人が「うちのママが」と言っていても、特に違和感なく受けとめられる寛容さが日本語にはある。

「はは」の語源は明らかではない。世界的に見ると、母親を表す言葉には、英語のmatherや、中国語の「母(mu)」「媽(ma)」のようにMの発音が使われているものが多く、「は」行を使うものはほとんどない。もっとも、「はは」は古代にはPAPAと発音されていたそうなので、それなら英語のpapaの例もあり、いまどきのジェンダーレスっぽくて納得できないでもない(何言っているか自分でもよくわからないが)。PAPAは、中世にはFAFA(あるいはPHAPHAか?)と発音されるようになったが、この変化は、ラテン語のpater(パーテル)が英語のfatherにつながった例などと共通している。「ぱーぱ-」とツバを飛ばしながら言葉を発するのがお下品なので(感染症が流行っているときなどは特にやめてほしい)、こんな変化が生じたのかもしれない(そんなわけないか)。また、「は」の字は文中に来ると「わ」と発音されることが多いので、FAFAはFAWAと変化し、さらにHAWAへと移って現在の「はは」につながっているという。

 そもそも「h」は、声門摩擦音の一種とされているが、口の中のどこも摩擦されていないという不思議な分類で、実際は母音の口の形のまま息を強く吐く、つまり息の勢いだけで発するようなやっかいな発音方法をとる。フランス語なんかは「h」ではじまる言葉は、めんどくさがって「h」は発音しない。英語のHenry(ヘンリー)がフランス語でHenri(アンリ)となるのはその例である。日本語で文中の「は」が「わ」と発音されるのをみてもわかるように、「h」は発音が難しく、少なくとも子ども向けではない(R6指定くらいだろう)。「はは」がpapaやfafa、fawaなどと発音されていた時代は、子どもに最初に覚えさせる言葉として使われていたかもしれないが、近世になって「はは」がhahaと発音されるようになると、子どもは母のことを「かか」「かかさま」「かあさん」「おかあさん」などと呼ぶようになる。発音しにくい「はは」は大人が使う言葉となり、大人の会話で用いられる謙譲表現として主に使用されることになった。

「はは」は、『万葉』の時代から使われていた言葉だが、同時期に「おも」または「あも」という言い方もあったようで、朝鮮語「어머니(オモニ)」との関係が指摘されている。この言葉が使われていたのはごく初期で、平安時代以降はほとんど使われなくなったようなので、当時の渡来人を中心に使われていた流行り言葉なのかもしれない。朝鮮語の語源については知らないので、「おも」や「あま」を日本語として私見を述べると、「おも」や「あも」の「お」「あ」は「おじさん」の「お」や、「あこ(我が子)」の「あ」などと同じ接頭語で、語の主要要素は「も」ではないだろうか。だとすると、中国語の「母(mu)」「媽(ma)」などとの関連が想定される。「おも」や「あも」は子どもにもやさしい発音であり、世界的に母親の呼称として使われる「m」音が含まれているのに、なぜ日本語で廃れてしまったのかは不明だが、「あも」や「おも」が漢語と関係があるとしたら、そのせいかもしれない。というのは、日本人は日常会話では意識してか無意識かはわからないが、堅苦しい漢語を避け、できるかぎり和語を使おうとする傾向があるからだ。「遺憾に思う」だの「慚愧の念に堪えない」などとの漢語は、公的な場やうさんくさい弁明などに使われがちで、「おも」や「あも」が渡来人が使うような言葉であったとしたら、すたれた理由はわからないでもない。

​(VP KAGAMI)

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